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2007年2月26日 (月)

回想 『珈琲卿』

Coffee_cup2『珈琲卿』。
何と気高く格調の高い名前を冠した喫茶店だろう。
学生時代は、毎週のように立ち寄り、仲間達と刻(とき)を過ごした。
典型的な純喫茶。 カウンターの向こうには、茶器が並ぶ硝子張りの戸棚と、数えきれないほどクラッシックのLPが並んでいた。
適度な音量に抑えられてたクラッシック音楽が、店内の薄暗い雰囲気と相まって、人々の心を和ませてくれた。

マスターは黒縁の眼鏡を掛けたインテリ風。 外見通り、その語り口も穏やかで一見、客商売には向いていないようにも思えるが、その人柄が多くの常連客を生んだ。 店内に入ると『お疲れさま~』と、優しい声で迎えてくれた。 一方、ママは見るからに社交的で明るいタイプ。 丁度、補完し合う関係だ。 夫婦というのは、上手い具合にバランスがとれているものだと、今思い起こしてもそう感じさせるマスターとママであった。 

P8090235a1_2 サイフォンは4台ほど並んでいただろうか。 マスターは客の注文に応じ、手慣れた動きで珈琲を淹れる。
学生のどうでもよい話に丁寧な受け答えをしながらも、視線の先の手元は忙しそう。 カウンター越しに見える、斜め45度下に傾いたマスターの顔が今でも目に焼き付いている。 

店の一室は時として、学生に開放された。 貸し切りである。貧乏学生が時として、10名以上集まり、そこでカードゲームをやったり、語らったり。 今思えば、身勝手な世間知らずの若者によくぞ交流の場を提供してくれたものである。 

店の自慢は、オリジナルのブレンドコーヒー。 苦みを抑え、酸味と香りが絶妙にバランスした味。 その何ともいえない高貴さを感じさせる味が好きだった。 味を色で表現するのも妙だが、『青紫色』とでも言おうか。 気高く洗練された味、としか表現のしようがない。 これまで珈琲は数え切れないくらい飲んできたが、珈琲卿以上の味に出会ったことは無い。 いつか、釧路に帰った時には立ち寄ってまた、あの味に再会したいとかねがね思っていた。

Sir_coffee_1 と、時間というものは勝手に過ぎ去るもので、珈琲卿から遠ざかってからかれこれ30年。 
数年前、ママが亡くなったことを友人から知らされる。 もう亡くなって10年以上経つとか。 暫く会っていないので正直、実感が湧かなかったが、あの笑顔がもう見られなくなったかと思うと寂しい。 しかし不幸は続く。 今度は昨年の夏、マスターが病魔に倒れた事を知らされる。 今も病床に伏した状態らしいが結果的に、昨年の暮れには、珈琲卿が惜しまれつつ閉店したと聞く。 ...あの二人をカウンター越しに見ることはもう出来なくなった。 

二人は子宝に恵まれなかった。 子供がいれば、自分たちがこの世に生きた証を次世代に残せようが、神様はそれを与えなかった。

今思えば、たくさんの人に美味しい珈琲を淹れ、くつろぎの刻を与える為にマスターとママの人生があったのかと、歳甲斐もなくセンチメンタルな気分になる。 

Acc_coffee_1 しかし、二人がこの世に生きたことを証明するものがまだあることを知った。 あの、珈琲卿で使っていた珈琲豆を入手できるのだ。
店を閉めるに当たり、マスターが問屋に対して『もしお客さんから依頼があったらブレンドを調合して売ってあげてください』とお願いをしていたらしい。

そのお陰で店が無くなっても、マスターが残した珈琲をまた楽しめることになった。 これこそが『マスターとママの子供』だと思う。 先日、友人からこの豆が入手できる話を聞き、大いに驚いたが、即座に注文したのは言うまでもない。 

豆が到着した。 さっそく珈琲を淹れてみたが、残念ながらあの味はしなかった。 豆の挽き具合、入れ方がまだ素人なのだ。 ただ、心配はしていない。これから淹れ方を研究してゆけばきっとあの味を出せると思っている。 何故か? 舌の記憶は確かだからだ。 人間、映像や音の記憶よりも『味の記憶』の方が長期間残る。 つまり、味は忘れないのだ。  マスターのあの味は舌が覚えている。 忘れるものか。 

『珈琲卿の味』を目指す新たなチャレンジのスタートである。

PS: 2枚目の写真は、2003年に珈琲卿で撮影されたものです。 東京都の小関さんよりご提供いただきました。 小関さんには、この場を借りてお礼申し上げます。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

こんばんは2回目の、投稿に、なりますが、この記事見て釧路の事かなと思い近所に、住んでいるらしい友達に問いただした所、昨日新地になったと、言ってました。本当だとすれば、悲しい事です。私は、初めて聞く話なので?
JA8BWZ 工藤貴行

投稿: 工藤貴行 | 2007年2月28日 (水) 20時24分

...そうですか、遂に新地になってしまいましたか。 建物が無くなった以上、思い出だけが残った形になってしまいました。 QSPありがとうございました。 

投稿: JA1BBP 早坂 | 2007年3月 1日 (木) 12時40分

今日、釧路の友人から更地になっていたと連絡がありました。
本当のようです、思い出がまた消えてしまいました。

投稿: 臼井 | 2007年3月 1日 (木) 19時56分

臼井さん (”さん”付けは、気持ち悪い?)
当Blogへようこそ。
釧路の工藤さんからも同じ情報をいただいているので、本当のようです。 今週末には、サイフォンを買って、珈琲の入れ方を研究する予定です。 コツが掴めたら、今度連絡します。 

投稿: JA1BBP 早坂 | 2007年3月 2日 (金) 06時42分

はじめまして。いきなりのコメント失礼致します。
私はここの店主の姪になります。伯父の足跡をなんとなく辿りたくて「珈琲卿」の
キーワードで検索していたら貴方様のブログにあたりました。
驚きと共にとても心温まる内容で、思わず目の奥がグッと熱くなりながら
読み進めていきました。
ありがとうございます。
伯父は本当に優しくてインテリで、大好きな伯父でした。
盆、正月にしか会うことが出来ませんでしたが
私達(姪っ子甥っ子たち)はこの伯父が大好きで
会うのが楽しみでした。いつもニコニコして
子供たちにずっと付き合ってくれて
怒った姿を一度も見たことがありませんでした。

地元でも皆様に愛されていたと実感できる
ブログでのご紹介で
本当にありがたく思います。

たまたま拝見したブログでしたが
スルーできませんでした。
他愛なくつたないコメントをお許しください。

どうしてもお礼が言いたくて
お邪魔いたしました。

チサト(旭川市在住)

投稿: チサト | 2017年1月 4日 (水) 15時06分

懐かしくも悲しい名前を見ました!
工藤貴之君のお別れを3年前の晩夏、川崎で行いました
医者通いをしているので人より早く3人でお別れをしました
今、府中市から引き揚げ、釧路に住んでいます
工藤君の思い出話でもできれば?と思っていますが・・・

投稿: 鈴木 健二 | 2017年6月21日 (水) 19時29分

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