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2008年10月23日 (木)

"Failure is not an option" ~失敗は許されない~

Cvg_genekranz_2昨日、前NASAのディレクター、 ジーン・クランツ氏の講演を聴きました。 アポロ計画のときNASAで主席管制官をしていた人です。
米ソ冷戦のさなか、ケネディ大統領は人類を月に送る壮大なプランを発表します。 アポロ計画です。 国家の威信をかけたこの計画は、莫大な予算と、頭脳を投入し進められ、遂にアポロ11号でその目的が達成されました。 1969年のことです。 そのとき彼はオペレーティング・ディレクターとして現場の指揮をとっていました。
世界が注目する中、無事月面着陸を成功させたアメリカは、続けざまに12号、13号を打ち上げました。 しかし、さすがに三回目ともなると感動、注目度共に低下した中で打ち上げられたのがアポロ13号。
キリスト教国では不吉のナンバーとされる"13" を与えられた運命のロケットは、そうした中、月へ向かったのでした。 順調に進んでいたかにみえたミッションも、『Houston、we have a problem』の声と共に、悲劇が幕が開く。
200pxapollo_13_smロケットの酸素タンクが電気系のショートにより爆発し、月への着陸はおろか地球への帰還すら絶望的になったのです。 このままで3人は宇宙の藻屑になる。
地球に戻るにはどうしたら良いのか。エネルギーはどう確保するのか。酸素はどうするのか。 絶望的な中で悪魔との壮絶な知恵比べが始まる。
そのやり取りについては、映画『アポロ13』や関連書籍に詳しく描かれていると思うのでそちらに譲りますが、最終的には月着陸船のエンジンや、酸素、電源などを使って何とか帰還する道筋を立てたのでした。  
月の裏側に回りこみ、その引力を利用してスイングバイし地球に戻る。 その後、地球を目視で捉えながら、横軸、縦軸の姿勢をクルーが手動で操作し、その僅か数十秒の期間に集中してエンジンを噴射し地球への帰還経路を確保するなど、行き詰まるような攻防がありました。 (今なら全てコンピューター制御で、ということなんでしょうが、何せ1970年当事のことです。 事故による様々な制約の中で手動操作に頼っていたところが多くあったようです)
Houston10結果的に、月に着陸するよりも難しいミッションをアポロ13号はやり遂げ、軌跡の生還を成し遂げました。 ジーンはそのときヒューストンの管制室で指揮をとっていた当事者です。その人物が当時の生々しいやりとりの模様を、写真などをおりまぜながら語ってくれた訳ですから、その話に皆吸い込まれてしまいました。
一時間少々の講演でしたが、あっという間に過ぎてしまい最後に司会者が『リアル・ヒーロー、ジーン・クランツです』と言うと、全ての聴衆が立ち上がり、スタンディング・オベーションに。 そりゃあ、もう大変な拍手でした。
尚、講演の中で彼が強調していたキーワードがあります。 それは、『チームワーク』、『リーダーシップ』、『信頼』 この3つでした。 
クルーを絶対地球に帰還させるのだという強烈な意思。 それをあの時、NASAの職員全員が共有していたというのです。 仲間を決して見捨てない。何が何でも助けて地球に戻すんだ。 この燃えさかるような思いがあの管制室の空間にみなぎっていたようです。 そして、司令官のリーダーシップの下、各自がそれぞれの持ち場で最善を尽くす。 そしてその仲間の行動に信頼を寄せる。 ビジネス論、組織論にも通じる話ですが、聞いていて非常に説得力がありました。
地上に作り残していたもう1セットの指令船などを使い綿密なシミュレーションを行い、その結果を宇宙空間をさ迷うアポロ13号に送る。 極限状態の中でこれを何日もやった地上職員と、クルーのガッツも大したものでした。 
当時、ジーンは30代なかば。 気力、体力ともに充実していた時にあの事故が起きた訳ですが、今年、齢75になる彼の口から出る話には、今だに圧倒的な迫力がありました。
歴史の現場にいた人の話は、実に面白いと思った次第です。
2008.10.22 デトロイトにて記す。

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コメント

「アポロ13」ですか・・・
小生は小学校のテレビでその光景を見せてもらいました。
田舎の木造校舎の全校生徒120人程度の学校で、テレビなど当時は学校で買えるような物では無かったようで、同級生のおじさんだったかにお江戸で立身出世なさった方が居り、その方が学校の各教室に寄贈して下さった直後にこの「アポロ13」が有り、最初にそのテレビで見た記念すべきシーンでした。
当時もボ~ッとした少年で、先生が「すごい事が今行われている」といった事を話していらしたが、正確に理解できないまま映画の一シーンを見る感覚で見たものでした。

小生にとっては凄い事もさることながら、当時の長閑な風景も一緒に記憶にセットされて蘇る懐かしいシーンです。

投稿: ごんざえもんのすけ | 2008年10月23日 (木) 07時47分

昔、学校の視聴覚室にあったテレビは、大体が寄贈品か、ベルマークで買ったものだったように記憶しています(少なくとも小生が通っていた小学校ではそうでした)。

人類を初めて月に運んだアポロ11号。 あれは、S44年の夏だったと思いますが、小生は学研の”科学”の付録に付いていた望遠鏡を月に向け、見えるはずも無い月着陸船を探していたのでした。 今思うと何とも無謀というか、無邪気というか....。

アームストロング船長、オルドリン、コリンズの両飛行士の名前は今でもしっかり覚えています。
指令船と、ヒューストンとの通信懐かしいです。 送信が終わると『ぴ~』と一回一回鳴っていましたね。 S50年代、アマチュア無線でもあの『ぴ~』を入れて交信している人が、HFで何人かいました。

また、同時通訳者が社会的に認知されるようになったのもこのときが切っ掛けと聞いています。
あれから約40年かあ.....。 懐かしいやら、虚しいやら.....??

PS:ジーン・クランツは、現役時代も今もアーミーカットでした。 そりの深い角刈りとでも言いますか。
顔が往年の名レスラー、『ジン・キニスキー』に大変良く似ていたので、とても親近感を覚えてしまいました。

投稿: JA1BBP 早坂 | 2008年10月23日 (木) 12時59分

本当に格好いい人ってこういう人ですね。
映画化の数年前にテレビ朝日で特番を放送してました。
その時にも出演されていて、番組のラストで語る姿が印象的でした。

当時、バッテリー担当は20代の人でしたっけ。
若い人材を重要なポストに登用するところも凄いなぁと思いました。
自分、そこそこの年齢ですが、とてもとてもできません。

奇跡の物語の本人に会えたなんて~いいですね~。

投稿: JO1KVS | 2008年10月23日 (木) 19時44分

アメリカは特に実力主義的な傾向が強いですので、能力があれば若くてもそれなりの地位で活躍の場が与えられるので日本とは随分違いますね。

さて、当方昨晩帰国したので、さっそく今日レンタルビデオショップにゆき『アポロ13』を借りてきます。

NASAのスタッフの多くが『給料に見合う仕事をしたのは、11号を月面着陸させたことより、13号を地球へ帰還させたことだ』と語ったとされるアポロ13号の奇跡を、約10年振りくらいに自宅で鑑賞します。うふっheart01

投稿: JA1BBP 早坂 | 2008年10月26日 (日) 12時47分

YBへ帰還しました.Hi

 アポロ13と聞いて黙っていられない.
 これ,レンタルで3回くらい見たよ.
 すばらしいCGとキャストでしたね.
 筆算で計算するシーンと,ラストのシーンで,地上でシュミレーションするクルー(名前忘れた.)はまだ,はしかは発病していない...のナレーションが記憶に残ってます.

 ところで,「フォレストガンプ」の出演者ばかりだと思ったのは私だけかな?
 でも,皆さん,演技が上手いから良かったけどね.

投稿: YB3/JO7MJS | 2008年10月27日 (月) 21時25分

こちらヒューストン。 YB3への無事帰還おめでとう!

>これ,レンタルで3回くらい見たよ.
それはそれは。 こちらも日曜日に借りてきて久しぶりに見ましたよ。 やはり、何度見ても感動します。

アポロ13の監督は、この作品を科学ドラマではなく、ヒューマンドラマとして作りたかったそうです。 まさしく監督の意図通りの仕上がりでした。 週末に返す前にもう一度観よ~っと。

投稿: JA1BBP 早坂 | 2008年10月28日 (火) 12時48分

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