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2008年11月10日 (月)

冨田勲

Tomita_isao日経ビジネスに載っていた冨田勲の(最近の)近影ですが、ちょっとショックを受けました。
小生の脳裏にある冨田勲とは、随分と変わってしまっています。

そもそも雑誌などにそう頻繁に出る人ではないので、実質的に30年振りにその姿(写真)を見た事になりますが、月日の流れというのはシビアですね。
すっかりお爺さんになっていることに驚きました。 でも、考えてみれば氏も今年76歳(!)。 当然と言えば当然です。
 
冨田勲と云えば、シンセサイザーミュージックのパイオニアにして大御所。 新日本紀行のテーマ曲や、NHK大河ドラマの作曲など数多くの楽曲も手掛けていますが、一般的にはシンセサイザー奏者としての方が名前が通っていると思います。

1970年代中旬から80年代に掛けて、ドビッシーや、ストラビンスキー、ラベル、プロコフィエフなどの作品を数多く世に送り出しました。
従来の楽器の音色とは全く異なる音を、まだ出始めたばかりのシンセサイザーを駆使して世に出した氏ですが、今でもその楽曲は一流だと確信しています。 例えば、ホルストの”惑星”を聞くとしみじみ氏の感性の高さを感じます。
パソコンがまだ無かった時代に手作業で膨大な実験を繰り返し、作品を生み出していった氏の精神力、モチベーションは驚嘆に値します。

小生は'70代当時、シンセサイザーシステムをバックに写っていた氏の姿に憧れていた者の一人です。
最高に格好いいと思っていました。 因みにこの写真です。

Tomita_2

その冨田勲も齢76歳。 当時学生だった自分がもう大変な歳になっている事を考えると当然と言えば当然なんですが、何だか悲しい気もします。

時間よ止まれ!

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コメント

こんばんわ。
同感ですねぇ~。写真に写っているシンセサイザーはムーグだと思いますが、これ当然ですがアナログの発振器やフィルターなんです。
ミニムーグを高校生の時に触ったことがありますが、一つの音を作ると全てのパラメーター(ボリュームの位置とか)を紙に書いておかないと再現できません。
というよりも、ボリュームの微妙な位置で変わるので、殆ど再現不可能じゃないかと思いました。
これを使って曲を仕上げる・・・というのは、感性も必要ですが、その前に超人的な忍耐が必要な作業であることがよーーーーーくわかります。

投稿: JI1ANI 福井 | 2008年11月14日 (金) 18時10分

>超人的な忍耐が必要な作業であることがよーーーーーくわかります。

仰るとおり、自分がイメージした音を無限の組み合わせの中から作り出す能力と、それらを根気よく重ね合わせてゆく忍耐力がなければ絶対に出来ない作品だったと思います。
この時代の人は、全て一人でやっていたので本当に超人的です。 
少し後に出てきた喜多郎の頃には、少しは機材がマシになってきていたと思いますが、それでも彼の『一人多重録音』には当時度肝を抜かされました。

血の通わない音とされるシンセサイザーミュージックの中でも、冨田勲、喜多郎の曲に暖かみや、芸術性を感じたのは、それだけ手間暇掛けた、つまり人が介在する度合いが大きかったからなのだと思います。

PS: 先ほど無事ドイツから戻りました。

投稿: JA1BBP 早坂 | 2008年11月15日 (土) 15時31分

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