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2011年8月31日 (水)

大魔王、in 新庄(山形県):8/18~20

 

Tsubasa1

ハムフェアなどがあり、記事の掲載がすっかり滞っていましたが、このBlogは大魔王の日記でもあるので、書き残しておくことにします。
非常にプライベートな内容なので、先祖巡りに興味の無い方は退屈すると思いますので読まない方が良いと思います。
 
■なぜ、新庄か?
8/18~20、新庄市に行ってきました。 先祖の足跡を辿る旅です。
若いときはそれほど興味は無かったんですが、歳をとるに従いだんだんと『ルーツ探し』をしたくなってきたのです。
 
大魔王の手元にある『家系図』によると、先祖は武田信玄の家臣、高坂弾正。 勝頼の代で武田家が滅亡した後は、最上家に移り、最終的には新庄藩に移り禄を貰うようになったとあります。
しかしその後、徳川幕府が倒れ、明治新政府となると廃藩置県と共に廃刀令。 武士階級は、失業したのでした。 
 
時の明治政府は、武士の失業対策と、北方の警備(ロシアの南下政策を阻止する)、それに食糧増産の一石三鳥(?)を狙い、北海道に『屯田兵』を送ることを決定。
それに応じた全国の士族階級の第一陣が、明治23年(1990年)6月に北海道の各地に入植したのでした。 そのとき大魔王の高祖父(ひい爺さんの親:要するに祖父の祖父にあたる人)が、新庄から北海度に渡ったのでした。
 
このあたりは残されている『屯田兵手帳』や、厚岸町に残る古い史料からもからも明らかなんですが、その先が何とも確信が持てなかったのです。
この高祖父、名前は早坂成実。 万延元年(1860年)の生まれなのは分かっています。 そして、その成実の父親、早坂常治が編纂したとされる家系図が実は大魔王の手元にあるのです。
 
しかし、その早坂常治が本当に実在した人なのかどうか、そして、もしかしたら家系図にテキトーなことを書いたのではないかとの疑念があったので、一度確かめようと思い、史料が残っている旧新庄藩のお膝元、新庄市に行ってきたという訳です。
 
■『新幹線』とは名ばかり?
8/18(木)、山形新幹線『つばさ』に乗車し新庄市に向かう。 因みに新庄は、終点なので乗り過ごす心配がありません。ま、酔っ払って乗るわけじゃないので別に心配は要りませんけど。 それにしても、山形新幹線は、福島までは文字通り新幹線ですが、福島-新庄間は、急行列車並みのスピードと、停車駅です。  
なにせ、東京から福島までの時間と、山形県内を移動する時間が大差ないんですから。 距離は倍以上違うと思うんですけど。
 
それはともかく、東京を出て約3時間半で新庄に到着。 
その日は、大雨のため予定の行動が出来なかった為、おとなしくホテルにチェックインし、家系図と、地図を広げながら翌日の作戦を練ることに。
 

Shinjo3_2


■新庄市立図書館で書物を漁る
翌日は、まず新庄市立図書館に向かう。 郷土の史料が豊富なので、ここで江戸時代の書物を調べることに。 ...といっても流石に江戸時代のオリジナル史料は別の書庫に保管されており、図書館にあるのは、それを研究家が活字に落とした書物です。
毛筆で書かれたオリジナルの史料は馴れないと素人には解読が難しいので、図書館にある書物の方がわかりやすいというメリットがあります。 朝から片っ端から読んでいったんですがなかなか先祖に辿り着けません。
 
■発見!
そうしているうち、早坂常治(大魔王の5代前の先祖)は、幕末の頃、江戸藩邸詰めだった、と死んだ親父が言っていたことを思い出す。 家系図によると早坂常治は、文化13年(1816年)生まれとあるので、幕末の頃は40~50歳ころか。計算は合う。
ということで、幕末から明治維新の頃の史料を調査することに。 すると、
....ありました。 こんな凄いのが。慶応4年(1868年)の御用書留です。

Tsuneji_1_2

 
再縁願い。 何と、江戸藩邸詰めの常治が、国許に再婚の伺いを立てている!
ひえ~、こんなの家系図にも載ってないし、聞いていないよ~。 この時代は、再婚の伺いまでいちいち江戸から新庄藩に伺いを立てていたんだあ~。
因みに、前妻のことは家系図に載っていて、文久3年(1863年)に死亡とあるので、多分、妻を若くして無くし常治は寂しかったのでしょう。
なんだか、こうなると俄然、『ルーツ探し』にもリアリティが増し、熱が入ってきました。
 
その後、文献を調べてゆくと、今度はこんなものが。

Tsuneji_2

なんと、来春まで江戸藩邸詰めを続けよ、との国許からのお達し。
書物によるとこの頃は、新庄を中心とした戊辰戦争が繰り広げられていた頃なので、当面帰ってくるな、という意味合いでこういうお達しがあったと思われます。
 
他にも幾つか、先祖の足跡につながる文章などがあったのですが、読者には退屈でしょうから、このあたりでやめておきます。

■とりあえず
家系図を編纂したとされる早坂常治(文化13年:1816年生まれ)の存在の確認が出来たことは収穫でした。 その人がまさか、自分の父親と祖父のことを、意図的に歪めて書くとは思えないので、7代先までは、家系図通りとの確信を得ました。 さて、8代より前はどうやって検証するか。 もうそうなると、お寺の過去帳で検証するしかありません。
 

Temple

■なに~、個人情報保護法だとお~?
お寺に行って、過去帳の閲覧をしようとしたら、何とそこには法の壁が!!!!!!!!!!
なんでも総務省からのお達しで、過去帳の内容は個人情報保護法の対象になり、自由に閲覧できないのだとか。 
おいおい、自分の身内(先祖)を調べるのに、つい数年前にできた個人情報保護法が邪魔をするとはどういうことだ? おかしいだろそれ!
内心、湯沸かし器状態の大魔王。 ただ、そんなことを言っても住職のせいではないので、どうしようもありません。
ただ、過去帳の閲覧は出来ないが、住職が内容を口頭で話すことは可能な雰囲気。 今回は、他のお寺や史跡の訪問など計画したいたので、時間が限られていた為、9代前より古い先祖の探索は次回することにしました。
 
とはいえ、うちの家系図には15代前から色々と書かれているんです。 西暦だと1540年頃から書かれているので、これを検証するとなると....。 気が重い....wobbly
 
PS: 本件に少々関連することなんですが、『今の自分は100万人の祖先の結晶』という話、聞いたことあります?
    どういうことかというと、自分の両親は2人ですよね。 そしてその両親の親は全部で4人。 更にその親は8人。
    そういうことを20代さかのぼると、2の20乗、つまり104万人になるんです。
    今の自分をこの世に生み出すために過去100万人が礎になったかと思うと、感慨深いものがあります。
 

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コメント

大変面白かったです。
ご先祖さんも、まさか自分の子孫が自分の名を書物から探し回って居るとは思ってもみなかったことでしょう。
すべての人がその辺でパッと発生したわけではなく、数々の危機を乗り切って命を繋いで生まれてきたと思うと凄いですね。
そして自分から先も100万人につながる可能性がある。
壮大です。

投稿: JO1KVS | 2011年9月 1日 (木) 23時05分

本州、四国、九州で生まれた人なら、かなりの確実で祖先はその周辺地域にいたと推測されます。 一方、北海道の場合、100年ちょっと前まではアイヌしか住んでいなかったので、今、北海道に住んでいる人の大半は、『移民』の子孫です。
その移民の末裔が、自分の祖先はどこから来たのか?、という思いになるのはある意味、自然なのかもしれません。

自分の後に100万人か....。
一代30年として、二十代で600年。
その頃、アマチュア無線は無いだろうなあ.....

投稿: JA1BBP/ 早坂 | 2011年9月13日 (火) 19時36分

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